前編では季節臨時列車として蘇った夜行座席特急列車「アルプス」に乗車し、白馬駅に降り立ちました。ここから駅メモ木曽イベントへの参加を目指します。
山岳リゾートのお膝下、白馬
列車到着後の白馬駅は登山客と旅行者でごった返していましたが、みなめいめいの行き先へと消えていきました。駅前にはコンビニがなく、食堂や売店もほとんど営業時間外でしたが、お土産店は早朝にもかかわらず営業中で、軽食販売もしていました。
ハイカーや送迎の車が去った白馬駅は、朝の静けさを取り戻していました
日本海を見よう
白馬からは大糸線を北上し、日本海に面する糸魚川へ向かいます。北上する人は思っていた以上に多く、立ち客も見られるほどでした。
E127系の始発普通電車に揺られること20分ほどで会社境界の駅南小谷へ到着。ここからは西日本の標準型気動車キハ120に乗り換えていきます。姫川渓谷のダイナミックな景観が楽しめるのが魅力の大糸北線ですが、アルプスの車内に引き続いて大糸線の車内でも爆睡していたようで、気がつけば渓谷部を抜けた先の頸城大野駅で起床。楽しむまもなく列車は糸魚川駅に到着しました。
糸魚川駅で改札を出て初めて知ったのですが、大糸線では独自の駅メモ関連イベント「大糸線に乗ろうキャンペーン」が開催されていたようです。知らなかった…。
(参考 → 【終了】大糸線に乗ろうキャンペーンについてのお知らせ )
E127系の始発普通電車に揺られること20分ほどで会社境界の駅南小谷へ到着。ここからは西日本の標準型気動車キハ120に乗り換えていきます。姫川渓谷のダイナミックな景観が楽しめるのが魅力の大糸北線ですが、アルプスの車内に引き続いて大糸線の車内でも爆睡していたようで、気がつけば渓谷部を抜けた先の頸城大野駅で起床。楽しむまもなく列車は糸魚川駅に到着しました。
糸魚川駅で改札を出て初めて知ったのですが、大糸線では独自の駅メモ関連イベント「大糸線に乗ろうキャンペーン」が開催されていたようです。知らなかった…。
(参考 → 【終了】大糸線に乗ろうキャンペーンについてのお知らせ )
悔いても仕方ありませんが、先日晴れてバージョンアップ実装となった、トキ鉄でんこ「糸魚川せつかさん」と大糸線でんこ「南小谷れんげさん」が改札前でお出迎えしてくれましたので写真を撮っておきました。
また、糸魚川駅アルプス口すぐの糸魚川ジオステーションジオパルさんも訪問しますと、最後まで大糸北線に残存していた3両のキハ52のうちの1両、キハ52 156号車が保存されています。
勾配が厳しい反面輸送力も低く速度も出ないこの線区は、1両編成ながら2機関がもたらす余裕ある高出力を備える国鉄型キハ52が適任だったためか最後まで活躍していました。残った3両すべてが保存車として余生を過ごしていますが、そのうちこの156号車はたまたま我が家で保有しているマイクロエース製16番製品のモデル車でもあるため感動もひとしお。短い時間でしたが往年の雰囲気を満喫させていただきました。
勾配が厳しい反面輸送力も低く速度も出ないこの線区は、1両編成ながら2機関がもたらす余裕ある高出力を備える国鉄型キハ52が適任だったためか最後まで活躍していました。残った3両すべてが保存車として余生を過ごしていますが、そのうちこの156号車はたまたま我が家で保有しているマイクロエース製16番製品のモデル車でもあるため感動もひとしお。短い時間でしたが往年の雰囲気を満喫させていただきました。
糸魚川からは北陸新幹線に並走していきます。北陸本線から転換されたえちごトキめき鉄道ひすいラインに揺られます。かつては直江津までが旧JR西日本区間で電車運転がなされていましたが、第三セクター転換に際しては高価な交直流電車の投入は見送られ、JR西日本の新鋭気動車キハ122をベースとしたETR122系が同区間を担当しています。見渡す限りの青空と日本海の青を車窓いっぱいに広げながら、「もぐら駅」の筒石駅や能生騒動で知られる能生駅などを通り、列車は周遊指定地『佐渡』の玄関口である直江津へ。
「周遊指定地 佐渡」の文字が残る。現在も佐渡汽船が就航している。
直江津は中世より上越地方の交通の要衝でした。明治に入り鉄道の時代になってからは北陸本線と信越本線が交わる一大駅であったためますます栄え、その様子は今も残る広大な駅構内から偲ばれます。北陸新幹線開業後も第三セクターとして発足したえちごトキめき鉄道のひすいライン(旧北陸本線市振〜直江津間)、はねうまライン(旧信越本線直江津〜妙高高原間)、JRに残った区間の信越本線、北越急行ほくほく線の列車が乗り入れる交通の要衝として今なお交通の要所となっています。
前社長の下で広大な車庫用地を活かしたレールパークを設ける構想が掲げられていたのも記憶に新しいところです。
前社長の下で広大な車庫用地を活かしたレールパークを設ける構想が掲げられていたのも記憶に新しいところです。
信越線・はねうまライン・ひすいライン直通の観光列車『リゾート雪月花』。
一路南下に転ず
旧信越本線であるはねうまラインを南下します。高田平野は関川の形作る扇状地で形成されており、上越市の市街地である春日山や高田、新幹線との接続駅にして新市街地である上越妙高、妙高市の中心地にある新井はそうした平地にある駅です。
しかし、新井を過ぎると関川から外れるため一気に勾配を駆け上がることになります。同区間の途中駅二本木と関山は駅用地程度の平地を確保するのも難しく、スイッチバック運転を行っていました。
このうち二本木は近年まで貨物輸送があった兼ね合いからか、現在でもスイッチバック運転を行っています。
このうち二本木は近年まで貨物輸送があった兼ね合いからか、現在でもスイッチバック運転を行っています。
鉄道的には結構見どころ多い区間であるにもかかわらず同区間の写真がありませんが、このときはひどい腹痛に悩まされており、それどころではなかったからです。
妙高高原にて、しなの鉄道北しなの線に乗り換えて信濃の国へ再入国。本日2度めの信越国境越えです。利用の伸び悩む北しなの線区間は単線化も検討されると報道があるほどで、新幹線なき今、かつての幹線の栄光は過去のものとなりつつあるようです。
ふたたびの信濃の国
北しなの線は牟礼を過ぎると一気に善光寺平へ降りていきます。飯山線と合流する豊野を過ぎ、引退したばかりの217系が並ぶ長野車両センターが見えてくると、間もなく長野駅に到着。到着後は気分を切り替えて、在来線ホームの『蕎麦処しなの』さんにてカレーそばをいただきます。駅そば屋の中でも最近はめっきり取り扱いが少なくなった車内持ち込み容器で食べようと思っていたのですが、「<お知らせ>列車内持ち込み容器は終了致しました」の文言がカウンターに掲示されており、いつの間にやら既に取り扱いが終わっていたようです。しかしカレーそばのチョイスは正解。そばつゆで適度に伸ばされたカレールウが美味しいんですよね。
「蕎麦処しなの」のカレーそば。シンプルないでたち。
『蕎麦処しなの』を出て、『特急しなの』に乗車。(ようやく)今回の2つ目の主題となる駅メモ木曽イベントへと向かいます。篠ノ井線をあっという間に走り抜け、二度目の松本・往路では停車しなかった塩尻を経て、列車は木曽路に入ります。イベント進行の都合上、一度南木曽まで下ってから、2つめの目的地木曽福島へと到着しました。現在の木曽町福島は木曽谷一帯に広がる尾張藩領の中心地として、関所や代官所が置かれた宿場の景観が今も色濃く残るまちです。
ですが、今回は駅メモイベントのため、目的地は駅です。駅を含む鉄道施設は、旧宿場からは1〜2段高い位置に位置しています。木曽谷一帯は平地が極端に少ないため、街自体が等高線上に広がっており、時代が進むに連れて上へ上へと段階を踏んで増やしていったような形になっています。
ですが、今回は駅メモイベントのため、目的地は駅です。駅を含む鉄道施設は、旧宿場からは1〜2段高い位置に位置しています。木曽谷一帯は平地が極端に少ないため、街自体が等高線上に広がっており、時代が進むに連れて上へ上へと段階を踏んで増やしていったような形になっています。
宿場風の駅構内では、いたるところに駅メモの広告やラッピングが施されていました。今朝のせつかさん・れんげさんパネルと同様に待合室部の東海ななの等身大(?)キャラパネルは実際の人間の背丈並みに大きいのですが、れんげさんらはポーズや文字配置の都合上実寸がパネルサイズより少し小さくされているため、パネルいっぱいのサイズになっているななは気持ち一回り大きく感じました。
(メモラーの方はご存知かと思いますが、このパネルは「等身大」ではありません。設定上のでんこのサイズは本来手乗りサイズくらいなので、おそらく10/1スケールくらいになるでしょうか。逆スケールってあるもんですね。)
(メモラーの方はご存知かと思いますが、このパネルは「等身大」ではありません。設定上のでんこのサイズは本来手乗りサイズくらいなので、おそらく10/1スケールくらいになるでしょうか。逆スケールってあるもんですね。)
にしても、今回の専用ラッピング、ベレー帽やプリーツスカートの意匠がみんなかわいいですよね。配布というのも多分に影響しているかもしれませんが、実際にプレイ中に見かけるななも結構このラッピングにされている方が多いように感じています。かわいい。
特別デザインの駅ノートは4冊目に突入していました。これもかわいい。
駅設置の交流ノートも専用のものが用意されていましたので、自分も一筆したためてきました。このノート非売品なのがもったいない程度にいいデザインをしています。何冊準備があるのかはわかりませんが、イベント期間外に目にすることがあれば、ぜひ見て、自らの手で書き記していただければと思います。(メモパッドとかにしてくれないかな〜)
そして家路へ
木曽の日没は早いので、一通り満喫した後は速やかに木曽福島を発ち、名古屋へ。総移動距離1000km超の夜行列車あり非電化ローカルありの旅を走り抜けて帰宅しました。
0泊2日の行程はやはり大変でしたが、終電過ぎの東京を発って白馬へ向かう夜行特急アルプスは、往年の高原旅情あふれる急行アルプスのリブートとして十分に楽しめました。
駅メモについても、てっきり南小谷のイベントは去年で完結しているものと思っていましたので、期せずして今年も村独自でアフターイベントを開催しているのはとても興味深いことです。ゲームと連動せずにやっているところを見ると、コラボでんこがゲームの世界を離れて地域に溶けこみ始めている様子が感じられました。
木曽の東海ななイベントでも、ノートの冊数からわかる通り多くのメモerが既に地域を訪問して、新たな出会いを生んでいるようです。
プレーしているとわからないのですが、既に位置ゲームとしてだけでない価値をもっているのだなと改めて再確認できる旅となりました。








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