2026年GWに訪れた、山陰地方の旅の記録です。
このところ玩具遊戯にかまけてブログ執筆をサボっていたところなので、少し前の記憶を辿って頭と筆の体操をすることにしました。
三部構成とすべくこの標題としましたが、完結はいつになりましょうか…。
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22:11。
数少ない豊橋以東へと直通する快速電車に乗って名古屋駅を出立。私もちもちのGWの旅が始まりました。
右手には2時間前にe5489で張り込み続けてやっとの思いで確保した『サンライズ瀬戸』号の指定席券。勝ち取った指定席券を握りしめながら、2時間かけて浜松へ向かいました。
満席だった列車も一駅ごとに人が降りていく
到着後、浜松駅で2時間ほど潰します。
名古屋から出る本当の最終は実際にはもう少し後なのですが、極力体力を温存する判断のもと乗り換えのない直通列車に乗っていました。今にして思うと、この考えは概ね正解だった気がします。
夜が更けゆく浜松駅のコンコースは人気も少なかったのですが、サンライズ号の発車時刻が迫るにつれてどこからともなくポツポツと人の姿が現れるようになりました。
サンライズ号は事実上の列車別改札となっているようで、普通の在来線電車が到着後一度改札内からは人払いがなされ、到着15分ほど前になると改札開始のアナウンスが鳴って入場できるようになります。
ただし、自動改札はもう電源ごと落とされているので有人改札にて改札。
もちろん指定席券ないし寝台券の有無が確認され、きっぷを呈示すると「行ってらっしゃい」の言葉とともに改札を受けます。
入線してきたサンライズエクスプレス
今回乗車したのはノビノビ座席。超直前に張っていたこともあり、さすがに寝台は空きませんでした。寝台でないとはいえ、個別スペースにはきっちりとカーペットが敷かれ、簡易枕とブランケットの提供もあります。最低限の設備ではありますが、それでも横になって移動ができるというのは高速バスにはない唯一無二の価値だと感じました。
そんなこんなで日本最後の定期夜行寝台特急列車に揺られて一路西へ向かいます。
車内の様子。東京からの旅客はすっかり夢の中。
せっかくならミニロビー等々散策したかったところですが、既に1時過ぎなので同室の大半の人は既に夢の中。そんなときにゴソゴソしているのも憚られるので、自スペースにそそくさと入ります。
一通り眠り支度を進めて横になると、(駅メモのチェックイン記録を見る限りでは)豊橋を通過する頃には早くも寝落ちてしまい、すっかり眠りについてしまっていました。
はっと目を覚ますと見覚えのあるディーゼルカー風の「そば屋」がホームに見えます。
その列車名の通りの快晴の朝焼けに包まれながら、姫路駅に到着するところだったのでした。
朝焼けに包まれる車内と旭川。
一度目覚めかけていましたが、まだまだ眠れる…と贅沢にも寝台列車での二度寝を敢行してから再度起床すると、車窓からは広い庭園とお城、そして広い川が見えました。
この車窓の景色、間違いありません。後楽園と岡山城だと直感しました。
答え合わせをするように「まもなく岡山に到着」とアナウンスがなり、夜行の旅はまさに一"睡"の夢のごとく終わってしまったのでした。もう少し満喫していたかった。
岡山に到着した列車。解結作業の後、列車は速やかにそれぞれの目的地へ向かう。
『晴れの国』岡山の陽光に包まれ、新幹線ホームへ向かいました。まだ特急券をもっていなかったためもう少し乗り継ぎがシビアになるかと感じていましたが、瀬戸大橋線が遅れていたため難なく乗り継ぎに成功。
待ち時間中にはたまたま反対側のホームへ入線してきたレールスターを発見し、撮影のために寄り道するほどの余裕もあったほどです。0系・100系「フレッシュグリーン」や500系「コバルトブルー」と同デザインながら配色が異なる仕様はかっこいいですよね。
N700系短縮化改造編成もこういう塗り分けにしてくれないかなぁ…。
レールスターのロゴが精悍(露出オーバーは見逃してください…)
新幹線に乗って向かったのは三原駅です。広島県最後の駅メモ未踏破区間、山陽本線の三原〜海田市間を埋めていきます。この区間は初めて訪れたときは最長片道きっぷのときで、呉線経由で乗車していました。2回目にこちらを訪れたときの乗車では、なぜか再度呉線に乗車してしまい、同区間が未乗のまま残っていました。
ごく最近まで黄色の電車が行き交い国鉄時代から変わりない景色が広がっていた同区間ですが、今や赤色の227系『Redwing』ばかりでなく、桃色の227系『Urara』編成すら同地へ足を伸ばすようになり、長かった国鉄時代もようやく終焉を迎えつつあります。
すっかり新型電車が行き交う駅になった三原。
列車は細く曲がりくねった谷筋に沿って走っていきます。本郷駅を出てすぐ、空を覆わんばかりの巨大な橋梁が出現しました。広島空港へと向かう県道の『広島空港大橋』です。
高台に位置する広島空港へ向かうため、地表面からかなり高い位置に通る必要があってこのような豪壮な架橋がなされたようです。橋脚・橋台・鋼製の大トラス。その存在感には圧倒され、夢中でシャッターを切りました。その中の一つが、こちらの写真です。
天空に大鉄橋が架かる
スカイレールサービスの遺構がまだまだ残る瀬野・八本松の峠を越えて広島駅に着くと、謎の人だかりを発見。見てみれば芸備線の臨時列車『庄原ライナー』の運転日でした。同列車はしばらくの撮影タイムの後、立席多数の満員で発車していきました。
この後で発表された利用客のトリップと消費額の調査ではその効果に厳しい評価が下されたこと(≒「乗り鉄」の経済効果の弱さ)が話題となりましたが、あくまで一個人としてはこの取り組みは決して無意味なものではなかったと思います。
この段階で友人との合流までしばし時間があったので、広島を散策がてら広電の乗車を試みます。駅前大橋ルートの開通により、広島駅前電停はかつて駅の片隅にひしめいていたのが移設され、今や駅2階へ堂々と乗り入れています。しかも訪問当日は広島最大級の祭典「フラワーフェスティバル」の開催当日。多数の来客が見込まれていたこともあり、駅の準備体制も大きく拡充されていました。
ろめんてん@広電本社
そんな祭事に脇目も振らずに向かったのは「広電本社前」電停。
駅前大橋ルート開業を記念し、企画展示『ろめんてん』が開催されているとの情報をキャッチしたのです。会場は本社ビル一階の一角を用いたもので、広島電鉄にまつわる様々な展示がありました。
旧広島駅電停から200mのところにあり駅前大橋ルートの開通により廃止となった「猿猴橋」電停の標板や、駅前大橋ルートの敷設イメージパースや建築模型、さらに歴代の制服・制帽の展示もありました。
わずかなトライ数となってしまいましたが、その間でさえ交通量に阻まれ撮影はままなりません。トラム鉄は車との戦いというのを身をもって体験しました。
3部作(予定)のうち「序」が終わったところですが、全3日の旅行期間のうちまだ半日ほどしか経っていません。それどころか、まだ旅行の本題にたどり着いていません。その割にかなり長くなってしまいました。
写真の枚数も当ブログでは過去最多だと思いますので、だいぶ濃い味になってしまいました。
反省を活かして、中・後編はもう少し文章中心にして薄めようと思います。
それでは、今回もお読みいただきありがとうございました。
次回もお読みくださると幸いです。














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